横浜散策 1

横浜は異国情緒が漂い、レトロな雰囲気がそこかしこに残っています。
そんな街を自転車でぶらりぶらり散策しています。

 横浜港  ベイブリッジ  シンボルタワー  外交官の家  プラットホーム
 工作船  ベーリックホール  インド水塔  ザンギリ頭  横浜三塔
 大 砲  ガス灯  ぷかり桟橋  根岸競馬場  英連邦戦死者墓地



横  浜  港

横浜港は安政5年(1858年)に締結された日米修好通商条約(安政五ヶ国条約)に基づき安政6年横浜村(横浜市中区関内付近)に開港された。当初は現在の神奈川県庁本庁舎付近(中区日本大通り)にあった運上所(税関)の沿岸に東西2つの波止場が設けられて貿易が始まったが、大正期間にかけ新港埠頭などの港湾施設が整備され国際貿易港として日本の近代化を牽引した。





ベイブリッジ

本牧埠頭と大黒埠頭とを結んでいて、上層部は首都高速湾岸線で下層部は国道357号になっている。下層部も含めて自転車は通行できず、歩道が無いので徒歩で渡ることもできない。大黒埠頭側には橋脚の道路下にある展望台までの遊歩道「横浜スカイウォーク」があり、横浜港の眺めや大型客船の通過時などは迫力のある光景を見ることができたが、平成22年9月に閉鎖された。



横浜港シンボルタワー

本牧埠頭D突堤の突端にある横浜港シンボルタワーは、いわゆる灯台ではなく信号塔です。タワーの高さは約60mあり、横浜港へ出入りする船舶が安全に航行できるよう信号や情報を送っています。
周りは広い芝生や休憩所、駐車場などが備えられていて、タワーの展望台から海を見ると、対岸の房総半島や海ほたるまで見えます。




外交官の家

外交官の家は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などをつとめた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、東京渋谷の南平台に明治43(1910)年に建てられました。その後、 平成9年に横浜市は、内田定槌氏の孫にあたる人からこの館の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復元しました。   建物は木造2階建てで塔屋がつき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残しています。室内は1階に食堂や大小の客間など重厚な部屋が、2階には寝室や書斎など生活感あふれる部屋が並んでいます。



プラットホーム

 桜木町駅からレールが埋め込まれている汽車道をたどって行くと、赤レンガパークにプラットホームがあります。旧横浜港駅の停車場の跡です。横浜港駅は明治44年に横浜税関内の荷扱所として造られ、大正9年に横浜港駅となり東京駅から汽船連絡列車が乗り入れました。その後、関東大震災の復興期昭和3年に横浜から海外に向かう人のために、プラットホームが設けられ、華やかな海外航路時代の最盛期を迎えました。



工 作 船

赤レンガ倉庫のすぐ近くに、「工作船展示館」と大きく表示された海上保安庁の資料館がある。平成13年12月九州南西海域で発生した北朝鮮による工作船事件で沈没した工作船が展示されている。漁船に仕立てられた全長約30mの工作船にはロケットランチャー・軽機関銃・自動小銃など多数の武器や弾薬が積まれていた。それらの装備が船体とともに海中から引き揚げられて展示されている。



ベーリックホール

イギリス人貿易商B.R.ベリックの邸宅として、昭和5(1930)年に建築されました。 現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、600坪の敷地にスパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけています。内部も、広いリビングやパームルーム、和風の食堂、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワークなどを用いて建てられています。
この建物を学校帰りの女子学生が見学していました。そして、幸せそうな若い二人がカメラに納まってくれました。



インド水塔

 山下公園の大桟橋側の一画にインド水塔と呼ばれる塔が建っています。大正12年(1923年)に起きた関東大震災では、当時横浜に居住していたインド人も被災した。横浜市民は町の復興と共に、被災したインド人にも救済の手を差し伸べた。  昭和14年に在日インド人協会から寄贈されたこの塔は、そんな横浜市民のインド人に対する援助への感謝、そして、亡くなった同胞の慰霊としての意味も含んでいると言われている。丸いドーム状の屋根そして天井裏の紋様が寺院建築の様式を取り入れた国柄を表すとても美しい造りになっています。



ザ ン ギ リ 頭

      〜ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする〜
山下公園の一角にモアイ像のようなモニュメントが立っている。政府の「断髪令」に先がけ、明治2年(1869年)に山下町で「理髪店」が開業した。これが日本初の西洋理髪店といわれている。欧米風「ザンギリ頭」は文明開化の一翼を担うこととなった。 



横 浜 三 塔

 横浜三塔(よこはまさんとう)は、横浜港近くにある塔を持つ3つの建物の愛称です。
 キングの塔(神奈川県庁本庁舎)・クイーンの塔(横浜税関)・ジャックの塔(横浜開港記念館)は、「横浜三塔」と呼ばれ、横浜港のシンボルとして親しまれている。 今は周りに大きなビルが建ってしまって目立たなくなってしまったが、建った当時は他に目立つ建物はなく、横浜港に入港してくる船の目印になっていた。 塔の愛称は、入港する船の外国人船員達がトランプのカードに例えて名付けたといわれています。
キングの塔 クイーンの塔 ジャックの塔



居留地出土の大砲

口径16.5cm 全長220cm 重量1690s
 この大砲は旧山下居留地(現在の中区山下町)の地中から出土したもので、馬車道の県立歴史博物館の前庭に展示されている。オランダ製の11ポンド砲とともに昭和34年に出土した帝政ロシア製の32ポンド砲です。出土地では、かってスイスの商社が営業していたが、この大砲は同商会の取扱商品の一つで、使われなくなった大砲を錨に造り変えて、横浜に出入りする船舶に販売しようとしていたものが関東大震災によって地中に埋まってしまったものと推定されている。



ガ  ス  灯

 ガス灯は、明治5年(1872年)に、馬車道・本町通り等に設置・点灯され、これが日本における最初のガス灯となりました。柱部はイギリスから輸入し、灯具は日本人職人により製造されたと言われている。
 当時の型をモデルとしたガス灯が、馬車道の横浜市市民文化会館(関内ホール)の脇に2基復元されている。



ぷ か り 桟 橋

 ぷかり桟橋はみなとみらい21地区にある横浜港の客船ターミナルである。客船、プレジャーボートの発着場であるとともに、みなとみらい地区のシンボル的な存在でもある。日本初の浮体式ターミナルとしてオープンしたこの桟橋は浮体式のため、桟橋だけでなくターミナルの建物も海上に浮いている。




日本の洋式競馬発祥の地

 慶応2年(1866年)、日本初の恒久的な洋式競馬場として根岸競馬場が誕生した。戦前には現在の天皇賞や皐月賞が行われるなど、日本の洋式競馬の黎明期を代表する競馬場だったが、太平洋戦争が激化した1942年に競馬の開催を中止。翌年には日本海軍により接収された。敗戦後の1945年9月、他の軍事施設と同様にアメリカ軍により接収され、接収中、馬場内エリアは米軍専用のゴルフ場となっていて、現在の芝生はその名残りでもある。  1969年に見所と呼ばれるスタンド以外の接収が解除され、横浜市による整備の上、1977年10月に根岸森林公園として開放された。1982年にはスタンドも返還され、現在は一等馬見所として保存されている。
 



英連邦戦死者墓地

保土ヶ谷区狩場町の高台に異国の地を思わせるようなムード漂う英連邦戦死者墓地があります。この墓地には第二次世界大戦で亡くなった英連邦の兵士が眠っています。イギリス、オーストラリア、インドなど墓地は国別に分かれていて、墓碑に国旗が添えられています。
昔は一般公開されていなかったが、エリザベス女王夫妻が参拝したのを機に一般に開放されるようになったそうです。



 散策目次

関東近県散策のページへ